Monday, May 15, 2006

世界的映像作家・長谷川章をつくり出したベンチャー精神

石川県小松市という不利なロケーションを
逆手にとった手法で、コマーシャル制作、映
像の世界で活躍する世界的映像作家・長谷川
章氏。一世を風靡した彼が日本発の新しい芸
術の世界を開くものとして、到達したのがデ
ジタル技術の粋を凝らした光のアート、「D
-Kデジタルカケジク」は、どうやって生ま
れてきたのか。

金沢城四季物語
世界的映像作家である長谷川章氏によるD
-Kデジタルカケジクの本格的なデビューは、
二〇〇三年、地元・金沢城でのイベントであ
った。D-Kライブは石川県などによる通年
観光企画「金沢城四季物語」の春の目玉イベ
ントとあって、地元の新聞でも、写真入りで
紹介された。
当時の新聞には「コンピュータ・プログラ
ムによって色や模様が変化する光を、五台の
大型プロジェクターで五十間長屋や菱櫓(ひ
しやぐら)などに映し出す」というD-Kの
仕組みの他「題名や説明、物語性などはなく、
一種の環境をつくるわけで、見る人もその一
部になってほしい」との長谷川氏のコメント
が載っている。
そのとき集まった老若男女、洋の東西を問
わない人々の反応が、彼に自分がやってきた
こと、やろうとしていることが正しかったと
の自信を与えることになったのだろう。
D-Kは城でも遺跡でも対象となる物の尊
厳や形、風景を損なわず、むしろ過去の城や
遺跡に再び命を与える。それを見る者も、な
ぜか生きていることを実感する。
子どもたちが光の絵の中に入って、キャー
キャーと遊ぶ。ある者は額縁を持ってきて、
自分だけの絵を楽しみ、それを写真に撮る。
白いシーツをスクリーンにしたり、シーツに
くるまって絵の中に隠れたりと、誰もみな生
き生きとD-Kライブを楽しんでいた。その
すべてと言っていい人たちが「感動した」と
いって帰っていった。
金沢城でのD-Kライブは大成功のうちに
幕を閉じた。そして、D-Kを見た人たちは
自らが体験した不思議な感覚、感動の余韻を
惜しむかのように、長谷川氏のもとに多くの
感想やメッセージを寄せた。
その一部を紹介すると「金沢城でのD-K
は、いまだに情景と雰囲気を色あせることな
く思い出せます。そのインパクトの本質は何
なのだろうかと考えるとき、身体感覚意識、
即ち大脳皮質に訴えかけるのではなく、生命
を司る本能の脳(古い皮質)に訴えかけるの
だなと感じています」という人。
世界中の美術館を見て回り、いわゆる現代
アートにある種の反発を感じていたという大
学教授は、次のように語る。
「長谷川さんの芸術手法は、心に少しも反発
心を呼び起こしません。それは長谷川さんが
言われるように、これまで誰も見たことのな
い、色彩空間を創出した、それも自然物すら
キャンパスに変える巨大な表現方法に圧倒さ
れたということが大きいと思います」といっ
たところが、いわば代表的な感想である。
もう一つは、神に関わるものが多く、特に
神道の世界に通じるものがあるからだろう。
「神職世界道統との調和を有するD-K精神
である“無常”から生まれる、時空を超えた
見えざる力は、神道の“想念”世界と連動し
た神々の力サムシング・グレートそのもので
す。およそ三次元を超越した祈りはすべてに
あまねく届くべく、普遍的な情念の形式を考
えます」と、ある神職は指摘する。
あるいは「今世紀最大のアーチストとして
歴史に名前を残す」と信じるD-Kのプロデ
ューサー的人物は、次のように語る。
「アートを根底から塗り替えていく人です。
キャンパスは大自然なのです。人の心・物、
この世に存在するもの全てがD-Kのキャン
バスであり、作品となるのです。その時の光
の饗宴に集まる人の心・自然、時空の『間』
にこそ、存在するD-K。
D-Kから生じる宇宙エネルギーは、時間
の経過とともに空間に広がっていきます」
以上、人それぞれの感想がある。その内容
は極端に言えば百人百様である。

D-Kの誕生
金沢城でのライブの後、長谷川氏は精力的
に那谷寺、二一世紀金沢近代美術館、六本木
ヒルズ、大坂城、アテネのアクロポリスなど
でのライブを行ってきた。さらに今年から来
年にかけて、世界での展開が待っている。
もともと、D-Kは一九九五年に発明され
た。その間、実はこれまでもいろんなところ
でD-Kを見せてきた。だが、当時のプロジ
ェクターは二千万もして、一台借りるのに百
万円もかかった。現在のように、屋外で大々
的に展開することなど不可能であった。
そんな中、九六年にD-Kのコンセプトを
発表。東京ドームイエロー館に常設展示した
他、九七年には白山で元YMOの細野晴臣と
D-Kでのコラボレーションを行った。九九
年は科学技術庁にて「デジタルの検証から捉
えられる生命時間の概念」の講演。二〇〇二
年、ポーラ銀座ビル・ポーラ美術館(別館)
にD-Kを常設展示。D-K写真集+CD-
ROM『気配』を出版するなど、CMの仕事
の傍ら、彼はひたすらD-Kへの本格的な取
り組みが可能になる日を待っていた。
やがて、プロジェクターとパソコンの性能
が飛躍的に良くなり、しかもプロジェクター
の価格が激落したことによって、ようやく野
外に出て、今日のD-Kライブが可能になっ
たのである。
そのD-Kの基礎となるものができたのは、
彼が四十五歳のときのこと。「デジタルとは
何か」、デジタルの概念を解き始めたことで
時間というものに行き着いたのである。
彼は時間について考える中で、時間には感
覚的に感じる時間(旬や季節感など)と、社
会の要請による制度的な時間(暦や時刻表な
ど)とがあることに気がついた。そして、日
本の元号などのように、国や宗教によって別
々の暦を持っていた世界の国々は、今日では
西暦というキリスト教の時間に統一された。
その制度的な時間が世界を支配する中で、
逆にパソコンの普及と世の中のネット化によ
って、個人が自分の時間を持つようになって
いる。そんな時間の種類や形態の変化を見て
いくと、時間の概念そのものが、これまでの
常識とはちがうのではないかと、彼は直観的
に感じ取ったのである。
マリリン・モンローは彼が三十歳のときに
四十年の生涯を閉じた。それから二十八年、
彼女は四十歳のままだが、彼は五十八歳と年
齢が逆転してしまった。結局、死人に死はな
く時間もない。死も過去も生きている自分、
今の中にだけあることに気がついたのだ。
そのことからわかることは過去も現在も未
来も、すべて今の中にあり、時間とは生きて
いる自分の中にあるということである。その
結果、彼はコマーシャルや映像づくりに、な
ぜかもの足りなさを感じるようになった。
つまり、彼は「映像とは何か」を改めて考
えることで、情報社会とは情報の洪水の中に
生きているに等しいと知ったのだ。それはた
だ流されるだけで、生きていることを実感で
きない社会である。
「自分はその材料を提供しているマスメディ
アの人間なんだ」と気づいたとき、彼は「自
分たちがつくってきたものは何だったのか」
を自らに問い直した。
決定的だったのが、彼が制作に関わってい
たS社のウイスキーCMであった。タレント
の小錦を使って大いに話題を呼んだ人気CM
は、小錦は売れたが、肝心の商品は売れなか
った。コマーシャルの世界では情報操作は意
味をなさなくなっていたのだ。
商品がすべてで、いくらコマーシャルが良
くてもダメだということを知った彼は、そう
した情報ではなく、電気や光、水や風などの
素材、自然そのもの、環境を構成している、
そんなメディアはないものかと考えるように
なった。そこからD-Kの発想が生まれたの
である。

枠のない世界
「D-Kとは何か」を考えたとき、作者であ
る長谷川氏の概念は、以下のようなものだ。
「D-Kはその場に立つものを空にし、時間
と空間の束縛から解放する。D-Kの映像は
何かの表現やシュミレーションではない。あ
なたが見た一瞬に生成される不連続なデータ
であり、一切は心の動きがつくり出したあな
たの鏡である。
D-Kに変化を見たものはいない。木々が
大きくなるのを見ることができないように。
それらはあなたが見た、あなたが感じた一
瞬にのみ存在しているからである。変化を捉
えるということは、あなた自身の『間』を捉
えることに他ならない。
あなたがD-Kを観ているとき、あなたも
その場にいる人々も、場を形作る要素として
その場に溶け込んでいくだろう。
そのとき、自然と人は一つになる」
D-Kには自然の風景と人工物を一体化す
る効果がある。それはまた、人間が自然に生
かされていることを感じることでもある。つ
まり、究極の人為的装置なのだが、とても自
然のものであり、自然に生きる刹那、それを
感じ取る装置というわけである。
長谷川氏が「D-Kは色即是空の世界をプ
ログラムしており、D-Kには始まりもなけ
れば、終わりもない」というのは、宇宙の果
てまで続く、そこにはフレーム(枠)がない
ということである。例えば、テレビはスイッ
チを入れると番組が始まり、切ると終わる。
それがテレビの枠で、テレビをつけると、つ
いつい時間を奪われてしまう。
昔は年に一回程度、映画を見て、その時間
を奪われたとしても、それは非常に楽しい時
間であった。ところがいまは、やれケータイ
だ、新聞だ、雑誌だと忙しい。その情報は出
し手側がいて、時間の枠があるので、情報を
読みとるには、その時間に合わせなければな
らない。時間を取られるということは、その
まま生きている時間、つまりは命を浪費する
こと。まさに情報の奴隷というわけである。
D-Kは情報の洪水の中で、泳がされてい
る自分を救い上げてくれる。それも自分の力
で、ハッと気づくようになり、本来の自分を
取りもどすことができるのは、D-Kには枠
がないからである。
同時に、彼は映画やテレビの映像がいくつ
もの静止画を高速で切り替えることによって
成立していることに着目。D-Kはその画像
と画像の間を極端に延長して、一分間に千八
百フレームを微分的に補っていった。その操
作により得られるイメージは、D-Kの特徴
である限りなく静止画に近い動画となる。地
球の回転速度と同じというそれはまさに静止
画でもなく動画でもない、まったく新しいイ
メージになる。
「ということは、われわれの見ている映像は
全部、静止画なんです。それがなぜ、動画に
なるか。錯覚ではなく、それは見ている人が
動画をつくっているからです。それも生きて
いなければ見えない。それが生きているとい
うことなんだ」という長谷川氏は、一例とし
て一枚一枚の絵がページを繰ると動きだすパ
ラパラ漫画を引き合いに出す。
重要なことはそれらの特徴のすべてが、既
存の芸術にはないということだろう。芸術ば
かりではなく、テレビやニュースなどの情報
が誰かがつくり、プログラムしたものでしか
ないのに対して、D-Kは見ている人、参加
している人すべて、受け手側がつくる。だか
らこそ新しく、価値があるのである。


世界のD-Kへ
D-Kの役割、さらにその可能性は大きい
ものがあるが、長谷川氏が思い描くD-Kの
将来的なビジョンの一つは、D-Kによるテ
レビの革命である。
テレビは現在、世界中に五十億台以上使用
されているが、その九〇%は常に黒い画面の
「オフタイムTV」の状態である。テレビが
世界に普及して七十五年たった現在、誰一人
として、このことに文句を言った者はない。
テレビとはそんなものだというわけだ。
そのテレビは、いまや薄型テレビが全盛だ
が、薄型テレビ独自のコンテンツがあるわけ
ではない。ハイビジョンあるいはデジタル化
と、技術面での進歩はあっても、相変わらず
映画やニュースや様々な中継、バラエティを
垂れ流している。
実は、そこにこそ長谷川氏が提案する「D
-KオフタイムTV」の革命的意味がある。
スイッチを入れると、まずD-Kが映る。も
う一度、スイッチを押すと普通のテレビ番組
が流れる。消すときはスイッチを押せば、再
びD-Kが流れ、もう一度押すと、電源が切
れる。黒い画面がD-Kの舞台になるという
仕組みである。
そのシステムのために、D-Kを世界的に
配信する仕組みもできている。それが、長谷
川氏がすでに開発、特許取得済みの配信シス
テムである。D-Kダウンロードソフトによ
って、世界中どこでもインターネットを通じ
て、D-Kライブ画像データを再生できる。
それはテレビの革命に止まらず、これまで
の箱もの、箱型の受け身の美術館から、ライ
ブを可能にする能動的な美術館の創造でもあ
る。つまり、普通は美術館に行って、作品を
見て歩かなければならないが、D-Kはいわ
ば美術館のほうからやってくる。
D-Kはそこでは情報ではなく、一つのイ
ンテリア、精神的な癒しとなるとともに、建
築の材料、インテリアの材料などのまったく
新しいインフラになる。D-Kの最終的な目
標は、まさに世界をターゲットにしたものだ
けに、今後の展開が楽しみなのである。

-「エルネオス」2005年8月号
http://www.elneos.co.jp/number0508.html
■連載/早川和宏のベンチャー発掘73
 石川県小松市/CPMスタジオ[前編]
世界的映像作家・長谷川章をつくり出した
ベンチャー精神

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