D-K_感想資料_01-13
D-K感想資料_01-13
■1□□□□□□
D-K@21世紀美術館、ほんと素晴らしかったです。
うつり変わる色彩を堪能しながら、
建築物の美しさに見とれました。
あの瞬間にしかありえない、貴重な体験をさせて頂きました。
そしてたくさんの人(遠方からもたくさん!)を引き寄せる
あの大きなエネルギー、やっぱりすごいことですね。
あのプロジジェクトをついに実現させてしまった長谷川さん!!
現場で私が一番見とれてしまったのは、
長谷川章さんの晴れやかなお姿でした
■2□□□□□□
金沢城イベントのDKは、いまだに情景と雰囲気を
色あせることなく思い出せます。
DKのインパクトの本質は何なのだろうかと考えるとき、
身体感覚意識、すなわち、大脳皮質に訴えかけるのではなく、
生命を司る本能の脳(古い皮質)に訴えかけるのだなと
私は感じています。
■3□□□□□□
奇想といえば、奇想な試みに、どうしてこのような発想が生まれてくるのだろうかと、びっくりしてます。地元では、金沢城でのショーなどがあったので、今度はどんなものになるのかしらと期待されているのではないでしょうか。実行委員の一人に加藤さんも名を連ねておられますが、やはりいろいろな方の意見などが、より多彩で、皆さんの度肝を抜くような演出になっていくのかなと思いました。
■4□□□□□□
海に沈む夕日、空に流れる雲、星座観察、空に架かった虹がうっすら消えていく様、
いったん、こういうものが意識のなかに入り込んできたら
なかなか抜けでることができない性質です。
ですから、DKもあれだけの時間ではものたりなく思うくらい
感じ入っていたのですが、DKがすばらしいと思ったのは、
「うつろい」をイベントとして、複数の人々と共有できることです。
夕日や、虹が、ふとあるタイミングでわたしの意識のなかに入り込んできたとき
「みて!空」とわたしはいつも大切な人たちにメールするんですが、
これは、けっこう虚しい行為でして…。
でも、大切なひとたちと共に、緩やかな時間を、うつろいを共有すること。
それは静かに流れるムーブメントです。
■5□□□□□□
写真を拝見して、大伽藍や名所でなくとも、ありふれた町でも十分に人々を感動させることができるのだな、と改めてD-Kのすごさを感じました。夕景から漆黒の闇への時の移ろいと水面に映える光の競演が静かに変化していく様を、写真からも感じることができました。広瀬氏の感想にありますように、思いもかけぬ一羽の鳥もD-Kの中に飛び込んできて、静と動、とりわけ生命というものの不思議さを感じさせ、涙まで誘ったのではないかと拝察しました。光と影は、互いに干渉しあい、互いを際立たせるものなのだということが分かります。夜空に開く花火も然り、水面に映る光も然り、セーヌ川もきっとすばらしい光と影の競演を披露してくれるのではないでしょうか。成功を祈念します。
■6□□□□□□
ありがとうございます。
金沢城、那谷寺とは又違った感想感激。
いつも違う、いつでも違う、夕日のごとく
同じ事を再現できない、再現する必要のない
それがDーK
やはりリアルタイムで体験し感じなくっちゃー
■7□□□□□□
風は感じるものですね。 猛スピードで進むあなたは今、ドコ?
同じ空間で同じ時間を過ごしたことで、満ち足りた気持ちになれました。
それはすべて長谷川さんと、波の音、そして蛍光色の光のおかげ。
DKを浴びること楽しかった。ありがとうございました。
■8□□□□□□
昨日の内川とってもよかったです。金沢では感じなかった美しさをたくさん感じました。きれいな光のアートに自然が作り出す水面のきらめき・・・なんといっても川の流れのようにのバイオリン演奏に酔いしれている時一羽の鳥が舞い込んできたときはその鳥も素敵にアートされ思わず拍手と歓声があがり涙が出ました。
■9□□□□□□
光の祭典の時にも思ったのですが、凝視、鑑賞するものというよりは環境として佇
んでいる存在かと。
■10□□□□□□
D-Kがどんどん世の中に浸透していくんだろうと、ワクワクします。
D-Kは、瞑想(やったことがないので本当は分からないのですが、イメージではあ
るがままの自分に接する―みたいな感じ?)みたいなものを、
身近にしてくれる大変便利なツール、という気がします。
それは、世の人々が欲しているもの。
”映画”のようにいつでもどこでもD-Kがある♪
ひとつの文化として全世界に普及するのでは!(^-^)
■11□□□□□□
大社本殿外壁の複雑な木製スクリーン?など、今までに無い興奮を覚えました。
四角四面のスクリーンの投影ではとても味わう事が出来ない独特の視覚はどう第三者に
説明したら納得して戴けるか、現物を観る以外に手段は無いでしょう。
これが標準ですと言うカタログが出来ないものです。
永井克正
■12□□□□□□
昨夜の気多大社は、宇宙そのものでした。底辺に、人間のさまざまな営みがあり
それを見守り受け入れる神社と杜、D-Kは、その御霊の気配を感じさせるように
大きくゆったり息づいていました。そして天には、星がまたたいていました。
すべてを見つめる、静かなまなざしでした。
■13□□□□□□
愛の成就のために集まる、若者たちの無邪気さと神社の人たちの営利が見え隠れするさまが、おかし哀しい光景でしたが、みな、何かのために真剣でした。
D-Kを見ている人見ていない人・・・
宇宙の分子はさまざまで、ひとつひとつが欲望のかたまり、でもいろんなものがすべて関係しあってこの世界があるのですね。
■14□□□□□□
昨夜は、那谷寺の時のようなトランス状態にはならず、宇宙の断面図をみて、現実を認識した夜でした。
D-Kの、新たな魅力発見です。
角島泉
■15□□□□□□
自分自身、理解するのに時間がかかり、じっくりと読んで分かりました。
光と影の演出、色彩の豊かさ、どれもあっと驚くような視界に広がる映像が印象に残りました。
絵画なら額縁、映像ならTVなどの枠にとらわれない、すばらしい作品だと思います。
D-K conceptでもありましたが、「世界の無限性に気づかされる」「今ここに生きている」ことを実感させるの言葉が気に入りました。
世界の無限性があるように、人間にも無限性があると思います。
高坪 敦子
■16□□□□□□
”中詣”があまりにも素晴らしかったので失礼とは思いましたが、メールさせていた
だきました。
岩山に映し出される”DK”がこれほどまでに自分に(きっとその場にいた誰もに)影
響を与えるとは、本当に驚きでした。
そこには肌に浸透してくるような静かなエネルギーが充満していて、それに身を委ね
ていると体の重みがなくなり浮遊感のようなものを感じました。
自然、美味しい食事、静かな語らい-今思い出しただけでも恍惚としてしまいます。
夕方から朝までそのような中にいられて、とても幸せでした。
心にたくさんついた”油”が流されたような気がします。
私が持っている粗末な言葉ではとても言い尽くせません。
常事に煩わされ、曲がったり汚れたりしている自分を初期化してくれる-これは本当に”中詣”でした。
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