d-i-g-i-t-a-l k-a-k-e-j-i-k-u [d-k, デジタル掛軸]
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デジタル掛軸は、アーティストの長谷川章が考案した芸術のひとつである。100万枚の抽象画風の形、色のパターン絵が、一分間に一枚ずつ、次に来る絵に重なり溶け合うようにして映し出される。100万枚の絵柄が溶け合って生まれる意匠は、100万二乗分ある。1分間に一枚の絵が移ろって行くとすると、ほぼ1000年に1回だけ同じ意匠が垣間見れる、いわば「一期一会」の「今の余韻を味わう」芸術である。千年アートと呼んでもよいかも知れない。。。
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また、デジタル掛軸は参加型、自己体験型の芸術である。テレビや映画館の固定のスクリーン、モニターを通して、ひとり個室の中で見るべきものではなく、夕暮れ後の戸外でたくさんのオーディエンスと「光とカタチの移ろい」を楽しむべき芸術である。日没時の日の陰りのうつろいを楽しむのにも似ているかもしれない。
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1000年のサイクルで移ろう光の色、カタチが 時間と空間枠から解放された、自然界に巨大プロジェクターを介して、投影、照射される。長谷川が、世界遺産である北海道の知床でデジタル掛軸のライブを実演した時のこと。偶然にも、暗闇の知床の山肌の上に、野生のエゾシカが現れ、デジタル掛軸の光とカタチの意匠の一つになって溶け合ったことがある。これこそ、神のなせる奇跡のひとつで、100万年に一回の意匠がそこに現れたのだ。
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アテネのアクロポリス神殿で、米国サンノゼ市庁舎で、大阪城、熊本城、金沢城でのライブパフォーマンス。六本木ヒルズ、台場のホテルメリディアン、有楽町の東京国際フォーラムでの公開記録。そして、忘れもしない、滋賀県高島市朽木村の禅寺、興聖寺でのパフォーマンス。日本舞踊の藤間信乃輔と篠笛の八木繁とのコラボレーションによる、静寂の中の時の移ろい、千年サイクルの「うつろうアート」に酔いしれたのだ。
(横野・筆)
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