Thursday, May 25, 2006

「金沢に奇跡を起こす七人」
七人から始める、金沢を変える力


 白山は、何のためにあるのか?
 何も飾らない、何も語らない、
 何もないと言うことはどうゆうことなのか?
 ただ、風と光と水。
 そこに、あなたはあなたの生命と出会い、
 あなたの魂に触れる、、、金沢。

 そこに、金沢は、、、
 あなたなら、わかる、、




古澤 洋子(日本画家)

角島泉(花道家)

藤間 信乃輔(日本舞踊家)

マタベー(パーカッションニスト)

ようすけ(自転車曲乗りアーチスト)

辻口博啓(アーチスト)

長谷川章(デジタルアーチスト)
--

▽最新情報
http://www.hll.jp/dk/introduce/
http://www.wanowa.com/bi/b0506b.htm
http://www.shinei-net.co.jp/hst/archis.htm
http://www3.toshiba.co.jp/pc/museum/insight/001/index_j.htm
http://d-k-tv.blogspot.com/
http://www.dailymotion.com/d-k/1

Friday, May 19, 2006

■2006年6月3日(土)~4日(日) 高島~DK LIVE !!

■2006年6月3日(土)~4日(日)
「第2回日本再発見塾 in 高島」
 ~日本を学び、日本に遊ぶ~
*場所:滋賀県高島市
http://www.e-janaika.com/
★6月3日(土)
20:00 念仏踊り+篠笛、Wサプライズ企画(1)(於:興聖寺) ★★★
http://www.e-janaika.com/juku/2006.html
>>「日本再発見塾in高島」
 参加申込書付き・案内PDFダウンロードはこちら

■2006年8月7日(月)~13日(日)
ゼロワン・サンノゼ
ZeroOne San Jose (ISEA2006) AUGUST 7-13, 2006
*場所:米国カリフォルニア州サンノゼ
http://isea2006.sjsu.edu/

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■2006年6月3日(土)~4日(日)
「第2回日本再発見塾 in 高島」
 ~日本を学び、日本に遊ぶ~
※場所:滋賀県高島市



 日本再発見塾とは、文化を中心とした様々な分野のトップランナーが呼びかけ、大学生が実働部隊となって始めた「日本の原点、田舎から日本を元気にする」活動です。第1回目は昨年岩手県葛巻で行いました。そして今年6月、第2回を滋賀県高島市で開催します。
 「高島」という地名は、8世紀以来の由緒ある名前です。里山と水辺を特集した番組が世界で7つものグランプリを受賞するなど、高島市は日本の原風景と自然の「宝庫」。町の人々は、この高島のことを「究極の普通の町」と呼んでいます。
 講師も実行委員会(高島市有志及び学生)もすべてボランティア、参加者は同じ釜の飯を食べ、文化や職人の技について語り、学び合う、言わば全員参加の合宿です。
 海外でのJapan coolブームを待つまでもなく、私たち自身で日本の魅力や強さを再発見していきませんか。


【日時】6月3日(土)11時30分集合(昼食を用意しています)
4日(日)17時解散予定 
   ※詳しくはホームページ http://www.e-janaika.com/をご覧下さい。
【場所】滋賀県高島市
【講師】
 小川後楽 氏(小川流煎茶家元) 小川三夫 氏(宮大工・鵤工舎舎主)
 麹谷宏 氏(グラフィックデザイナー) 金剛永謹 氏(金剛流宗家)
 長谷川章 氏(デジタルアーティスト) 藤原誠太 氏(養蜂家)
 増田明美 氏(スポーツジャーナリスト) 黛まどか 氏(俳人・呼びかけ人代表)
 茂木健一郎 氏(脳科学者)
【講義代】10,000円(交通費、宿泊費等除く。詳細は事務局まで)
【定員】150名
【協賛】アサヒビール、アミタ株式会社、株式会社 空、株式会社大伸社、
    東海旅客鉄道株式会社(五十音順)
【後援】滋賀県、高島市、構想日本
【協力】goo(NTTレゾナント)


【呼びかけ人一覧】
 池坊由紀、市川染五郎、大倉正之助、荻野アンナ、川淵三郎、河村晴久、隈研吾、
 麹谷宏、小林研一郎、金剛永謹、近藤誠一、櫻井よしこ、塩野米松、千玄室、
 千宗室、千住明、千住博、千住真理子、高橋世織、竹村真一、田中優子、谷村新司、
 佃一可、辻井喬、東儀秀樹、蜂谷宗玄、坂東三津五郎、広中平祐、藤田六郎兵衛、
 藤原誠太、増田明美、松岡正剛、黛まどか(呼びかけ人代表)、南こうせつ、
 茂木健一郎、山折哲雄、山下泰裕、わたせせいぞう     ※敬称略、五十音順

<お問合せ>
日本再発見塾事務局(担当:小林)
〒102-0075 東京都千代田区三番町28番地(アミタ株式会社内)
TEL/FAX:03-5215-1545 MAIL:question@e-janaika.com 
ホームページ:http://www.e-janaika.com/

Tuesday, May 16, 2006

NHKドキュメンタリー -こだわって・ふるさと

http://d-k-tv.blogspot.com/2006/05/ahatvnhkdocumentary001.html
NHKドキュメンタリー -こだわって・ふるさと〜インタビュー紀行〜
   映像作家 長谷川章 〜石川県小松市〜
(ビデオ録画ファイル、3分割になってます)

aha_tv_nhk_documentary_001
Akira HASEGAWA on NHK television documentary film,
titled ' Kodawatte Furusato' ( my sweet hometown ).

Resume:
aHA's working atelier, CPM studio in Komatsu city.
Interview: Feeling so good
The source of river, a small fountain
......


Tv_nhk_doc_002



Tv_nhk_doc_003

長谷川章 aHA D-K記録、映像、資料など

Akira HASEGAWA 長谷川章(aHA)作品集
-VIDEO d-k ビデオ記録 (d-k LIVE installations)
(下記のテキストをクリックすると、動画コンテンツ視聴可能です)
金沢21世紀美術館 建設現場 (2003年10月18日)
アテネ、パルテノン神殿(2004年12月31日)
有楽町、東京国際フォーラム(2005年12月)


-デジタル掛軸紹介(1)〜雅楽
-デジタル掛軸紹介(2)〜NHKニュース番組「おはよう日本」
-デジタル掛軸紹介(3)〜富山TVニュース番組、新湊市内川
-NHKドキュメンタリー -こだわって・ふるさと〜インタビュー紀行〜映像作家 長谷川章 〜石川県小松市〜(ビデオ録画ファイル、3分割になってます)



-what is d-k?

-document d-k 関連各種資料
English 英語
D-K concept
CONCEPT.doc
Exposure Time: by Thomas Daniel
(an atricle from "ARCHI" magazine, #01 2004)


Japanese 日本語
D-K 高等学校教科書の中のコラム




-audio
voice of aha

-picture




-aha-CFs 長谷川章 制作 TVCF、番組タイトル、企業向けフィルム
TRUST - Sumitomo TRUST BANK (Japan)
Release - Wacoal New Office Bulding 1999

-6 senses 石川県小松市周辺
sake-shinsen 石川県小松市、東酒造「神泉」
chojyu-an 石川県小松市赤瀬町、「長寿庵」

INDEX OF D-K OFFTIME TV CHANNEL

コラム「ある映像作家のこだわり」(高等学校教科書)




高等学校教科書「コラム」印刷版PDFダウンロード (フォルダー名[d-k-document]> ファイル名:d-k_textbook.pdf

( text )

コ ラ ム
ある映像作家のこだわり
●「デジタルカケジク」
 2004年12月31日,アテネのアクロポリス内にあるヘローデス・アティスコ音楽堂に不思議な光が投影された。「デジタルカケジク」と名づけられたこの光のアートは,長谷川章さんが発案した作品である。
▲デジタルカケジク
 デジタルカケジクは,静止画と静止画の間を,コンピュータプログラムによって補完し,夕陽が沈むときのように,ゆったりと変化していく作品である。城や神社などさまざまな場所にプロジェクタで投影することで,見る人は,建物や大自然そのものがもつ確かな存在感と,しかしそれがうつろいゆくさまに身をゆだね,思い思いの情感を心の中に描き楽しむことができる。
●たった一人で4000本もの映像を制作
 石川県小松市の郊外にスタジオを構える,映像作家の長谷川章さんは,テレビ番組のタイトル映像やCM映像などを,30年間で4000本も世に送り出してきた。作品は芸術作品としても認められ,世界各国から高く評価されている。
 長谷川さんのスタジオには,ディジタル化され,コンピュータで管理されている,膨大な数の映像素材がある。いざ制作の依頼があ
れば,要望を聞きながら素材を組み合わせ,完成に近い形をその場で依頼者に見せることができるという。
●メッセージを持たない表現
 一般的にCMは,消費者に商品の良さをアピールしようとする。しかし長谷川さんは,メッセージ性を排除することにこだわる。映像をきっかけとして何かを感じとるのは,あくまで見る側だからだと言う。実際,彼の作品からは,明確なメッセージは読み取れない。しかし「あっ」と思わせる独特の雰囲気がある。
 長谷川さんのこだわりは,映像そのものがもつ制約にも及ぶ。映像につきまとう「はじまり」と「終わり」という時間の制約が,見る側をも制約すると考えたのである。
 「時間に拘束された現代人に自分の『間』を取り戻して欲しい。」
 デジタルカケジクは長年の映像制作の経験の中で感じた疑問や違和感に対峙し,見る側にゆだねた表現にこだわり続けた結果として生まれたものだろう。
 「時間に縛られず,ゆったりとうつろう様子を見ていると,そこには自分の『間』が生まれます。情報自体にメッセージはありません。それはあなたが開くことではじめてあなたの中に存在するのです。」
▲長谷川章さん

d-k 画像ストック_0002

X-Sender: aha@lilac.ocn.ne.jp (Unverified)
X-Mailer: Macintosh Eudora Version 5.0.1r-J
Date: Tue, 16 May 2006 18:00:20 +0900
From: aha@lilac.ocn.ne.jp


ついかです、、あは













d-k 画像ストック_0001

100万枚の静止画イメージのストックがある、
デジタル掛軸 (D-K) の 抽象画風 画像サンプルです。

これらの、画像が 数十秒間のインターバルで、
ゆっくりと遷移していく、溶け合うように、重なりながら
すこしずつイメージが くっきりと認識できる「残像」の
まま 変わっていく。

この「絵」の中に、われわれが 入り、同化し 溶ける
ようになると、

何故、あの D-K 快感が 生まれるのでしょうか? (編集部 yokonoV)

































Monday, May 15, 2006

D-K LIVE 6月以降の予定(2006/5/15発信)

D-K LIVE 6月以降の予定(2006/5/15発信)

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■2006年6月3日(土)~4日(日)
「第2回日本再発見塾 in 高島」
 ~日本を学び、日本に遊ぶ~
*場所:滋賀県高島市
http://www.e-janaika.com/
★6月3日(土)
20:00 念仏踊り+篠笛、Wサプライズ企画(1)(於:興聖寺) ★★★
http://www.e-janaika.com/juku/2006.html
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■2006年8月7日(月)~13日(日)
ゼロワン・サンノゼ
ZeroOne San Jose (ISEA2006) AUGUST 7-13, 2006
*場所:米国カリフォルニア州サンノゼ
http://isea2006.sjsu.edu/

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■2006年6月3日(土)~4日(日)
「第2回日本再発見塾 in 高島」
 ~日本を学び、日本に遊ぶ~
※場所:滋賀県高島市



 日本再発見塾とは、文化を中心とした様々な分野のトップランナーが呼びかけ、大学生が実働部隊となって始めた「日本の原点、田舎から日本を元気にする」活動です。第1回目は昨年岩手県葛巻で行いました。そして今年6月、第2回を滋賀県高島市で開催します。
 「高島」という地名は、8世紀以来の由緒ある名前です。里山と水辺を特集した番組が世界で7つものグランプリを受賞するなど、高島市は日本の原風景と自然の「宝庫」。町の人々は、この高島のことを「究極の普通の町」と呼んでいます。
 講師も実行委員会(高島市有志及び学生)もすべてボランティア、参加者は同じ釜の飯を食べ、文化や職人の技について語り、学び合う、言わば全員参加の合宿です。
 海外でのJapan coolブームを待つまでもなく、私たち自身で日本の魅力や強さを再発見していきませんか。


【日時】6月3日(土)11時30分集合(昼食を用意しています)
4日(日)17時解散予定 
   ※詳しくはホームページ http://www.e-janaika.com/をご覧下さい。
【場所】滋賀県高島市
【講師】
 小川後楽 氏(小川流煎茶家元) 小川三夫 氏(宮大工・鵤工舎舎主)
 麹谷宏 氏(グラフィックデザイナー) 金剛永謹 氏(金剛流宗家)
 長谷川章 氏(デジタルアーティスト) 藤原誠太 氏(養蜂家)
 増田明美 氏(スポーツジャーナリスト) 黛まどか 氏(俳人・呼びかけ人代表)
 茂木健一郎 氏(脳科学者)
【講義代】10,000円(交通費、宿泊費等除く。詳細は事務局まで)
【定員】150名
【協賛】アサヒビール、アミタ株式会社、株式会社 空、株式会社大伸社、
    東海旅客鉄道株式会社(五十音順)
【後援】滋賀県、高島市、構想日本
【協力】goo(NTTレゾナント)


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 池坊由紀、市川染五郎、大倉正之助、荻野アンナ、川淵三郎、河村晴久、隈研吾、
 麹谷宏、小林研一郎、金剛永謹、近藤誠一、櫻井よしこ、塩野米松、千玄室、
 千宗室、千住明、千住博、千住真理子、高橋世織、竹村真一、田中優子、谷村新司、
 佃一可、辻井喬、東儀秀樹、蜂谷宗玄、坂東三津五郎、広中平祐、藤田六郎兵衛、
 藤原誠太、増田明美、松岡正剛、黛まどか(呼びかけ人代表)、南こうせつ、
 茂木健一郎、山折哲雄、山下泰裕、わたせせいぞう     ※敬称略、五十音順

<お問合せ>
日本再発見塾事務局(担当:小林)
〒102-0075 東京都千代田区三番町28番地(アミタ株式会社内)
TEL/FAX:03-5215-1545 MAIL:question@e-janaika.com 
ホームページ:http://www.e-janaika.com/

*長谷川章プロフィール


プロフィール
長谷川 章..............aha  
 1947年日本生れ。日本民間放送連盟TVCM部門最優秀賞をはじめ数々の賞を受賞。NHK大河ドラマ「琉球の風」ほかニュースやスポーツタイトルをはじめ、中国中央電視台(CCTV)のステーションロゴやTVCMなどを数千本制作。後に日本人の持つ無常の精神から時空を超えた芸術D−K(デジタル掛け軸)の創始者となる。現在、人間という生物のリズムを取り戻す新しいD−Kライブインスタレーションを世界遺産など世界各地ので開催している。

片柳学園(東京工科大学、日本工学院)顧問、NHKアートCGセンターアート顧問、JCP日本中国計画顧問、国際アットマーク高等学校審議委員、「子どもモノ作り教育支援事業団」 NPO理事  日本SOHO協会理事、日本熟年会議所理事



1947  石川県小松市生まれ。
1973 (株)コプメ企画設立。
1987 個展「静止画像『地水火風』」開催 電通アドギャラリーにて。
1988 ビデオジャパノロジー「京舞 井上八千代」制作。
1989 「Iwant to fly 」 OFRA HAZA(イスラエルのボーカリスト) VIDEO CLIP制作。
1990 C.P.M. DIGITAL COMPONENT STUDIO完成。HARRY SYSTEM 導入。
1991 「DIGITALPLAY」の CONCEPT 発表しART BOOK 自主出版。
1992 「EXPO2005 AICHI NAGOYA」1992 Universal Exposition Sevilla日本館にてコンセプチュアルビデオ 制作放映。      
1993 「FUSION ART aHa展」東急文化村ギャラリーにて開催。
    DIGITAL PLAY「aHa ART LAND」NHK 衛星放送局にて企画制作放映。
    NHK 大河ドラマ「琉球の風」と衛星放送「ワールドステーション 22 」News 
    のCover 映像制作。
1994 CPM Studio→小松市保育所→シンガポールの保育所を独自のNETWORKを 使った子供達のコラボレーション。       
1995 INAX「花の種・種の花」全国7箇所を距離、時間、空間を越えたサ 
    イバー ARTコラボレーションを実現。    
   NHK サンデースポーツ、サタデースポーツ Cover Title 制作。
   金沢工業大学「実験空間・創造学」にて特別講演。
1995" AKIRA Brand " Textile Design 発表JUN, サンヨーレインコートなど 
    20万着発売   
    NHKアート CGセンターの ART顧問に就任。
1996  DIGITAL KAKEJIKUのコンセプト発表、 東京ドーム イエロー館に常設展示。
    アトランタオリンピック '96 NHK TV Opening Cover制作。
    (学)片柳学園〔東京工科大学・日本工学院]の顧問に就任。    
1997 DIGITAL KAKEJIKU at 白山 of「RAINBOW 2000 HAKUSAN」で
     細野晴臣氏とコラボレーション。
1998   DIREC TV Station ID シリーズ制作
|   中国中央電視台 CCTV 新ロゴ、ステーションイメージ映像制作。
    ISSEI MIYAKE プリーツプリーズテキスタイルデザイン
   国立北陸先端科学技術大学院大学にて遠隔通信講議「サイバーにお 
     ける、時間の概念」
     石川県創知産業研究会委員に就任
1999  科学技術庁にて講演「DIGITALの検証、生命時間の概念」
     富山県新総合計画高度情報社会研究会委員に就任
     ワコール本社ビル新築で建築家高松伸氏らと「release 」制作  
2000  日本中国プロジェクトJCPの顧問就任 
2001  NPO認証「子どもモノ作り教育支援事業団理事」
2002  ポーラ銀座ビル「POLA Museum Annex」にてdーkを常設展示
  『KE・HA・I 気配 AKIRA HASEGAWA CONCEPT OF DIGITAL
     KAKEJIKU』全国書店から出版
国際ネットロボット学会理事就任
2003 ルーブル美術館ルーヴルアンリ・ロワレット館長を迎えて日本の夕べdーk Live
加賀百万石金沢城DーK Live(長谷川章&池田亮司)
    金沢尾山神社dーkライブ
    那谷寺dーk live
富山新湊内河dーk live
dーklive 21世紀金沢近代美術館アルフレッド・パックマン(ポンピド  
    ゥ・センター内国立近代美術館館長)
    ニール・ベネズラ(サンフランシスコ近代美術館館長)ラース・ニッ
    ティヴ(ストックホルム国立近代美術館館長)らをむかえての開催
宮城県立美術館D—Kライブ
六本木ヒルズシティービューD—Kライブ
2004  仙台ニッカ宮城貯蔵庫D—Kライブ
   大阪城D—Klive
   櫻島溶岩山D—Kライブ
   神戸ポートアイランド身障者アート展D—Kライブ
   鶴来金剣宮神社D-Kライブ
   汐留地下街D—Kライブ
   御台場メリリアンホテルD—Kライブ(半年間)
   ギリシャ日本年文化交流記念、アテネアクロポリスD—Kライブ
2005欧州連合日本年オープニング記念アテネアクロポリスD—Kライブ
   愛知淑徳学園D—Kライブ
   知床世界遺産認定祈念D—Kライブ
   白山ひめ神社D—Kライブ
   福井瑞源寺D—Kライブ
   上海国際芸術祭招聘上海豫縁D—Kライブ
   京都嵐山渡月峡D—Kライブ
   東京国際フォーラムミレナりオ光の祭典共催D—Kライブ
    


   予定
   フランスアンシー国際アニメーションフェスティバルD—Kライブ招聘
   シリコンバレーZEROONE世界エレクトリックアート展D—ライブ招聘
   北京国際芸術祭招聘万里の長城D—Kライブ招聘

D-K感想資料_14-20

D-K感想資料_14-20

■14□□□□□□
昨夜は、那谷寺の時のようなトランス状態にはならず、宇宙の断面図をみて、現実を認識した夜でした。
D-Kの、新たな魅力発見です。
 角島泉


■15□□□□□□
自分自身、理解するのに時間がかかり、じっくりと読んで分かりました。
光と影の演出、色彩の豊かさ、どれもあっと驚くような視界に広がる映像が印象に残りました。
 絵画なら額縁、映像ならTVなどの枠にとらわれない、すばらしい作品だと思います。
D-K conceptでもありましたが、「世界の無限性に気づかされる」「今ここに生きている」ことを実感させるの言葉が気に入りました。
世界の無限性があるように、人間にも無限性があると思います。
高坪 敦子


■16□□□□□□
”中詣”があまりにも素晴らしかったので失礼とは思いましたが、メールさせていた
だきました。
岩山に映し出される”DK”がこれほどまでに自分に(きっとその場にいた誰もに)影
響を与えるとは、本当に驚きでした。
そこには肌に浸透してくるような静かなエネルギーが充満していて、それに身を委ね
ていると体の重みがなくなり浮遊感のようなものを感じました。
自然、美味しい食事、静かな語らい-今思い出しただけでも恍惚としてしまいます。
夕方から朝までそのような中にいられて、とても幸せでした。
心にたくさんついた”油”が流されたような気がします。
私が持っている粗末な言葉ではとても言い尽くせません。
常事に煩わされ、曲がったり汚れたりしている自分を初期化してくれる-これは本当に”中詣”でした。
毎年繰り返し参加するものだと思いました。


■17□□□□□□
もう、すごいの一言です。昨年北陸4県のシンポジウムに招かれ、金沢に行き、城も見てきましたが、あの白壁が見事に様変わりしているのは圧巻です。D-Kのすごさ、現場で肌で感じたかったです。
 井上


■18□□□□□□
金沢城の櫓の不思議な色合い、50軒長屋のこれ又不思議な模様、など、本当に良くここまで考え出したものと感服です。光と音との醸し出すその雰囲気を、想像をたくましくして思い浮かべようとしましたが、現場にいなかったものには、難しいことなのだろうと思います。多くの方々の感想文を読みますと、その場で味わった衝撃を思い返して、更なる感動を味わっておられるようですから、広い空間の中で、自分自身の存在というものはどうゆうことなのかなどと、色々な想念にとりつかれたのではないかと考えます。D-kの映し出す映像を見、感動する自分を、我思う故に我あり、という哲学者のことばを思い浮かべつつ、見直したりしたのではないかと愚考しています。今度機会がありましたら、何とかその場に行き、体感したいと考えております。出来れば東京近辺でのイベントをやっていただければありがたいし、もっと多くの人たちに感動を与えられるのではないかとも思います。


■19□□□□□□
思いもよらず、メールを頂きびっくりすると共に、大感激しております。この間の講
演を聴きまして、映像というものの力の偉大さと長谷川様の哲学者のごとき(いや哲
学者そのものかも知れませんが)深遠なる理論とものの見方にびっくりしたのです
が、あらためて、じっくり那谷寺の写真を見ることが出来、感謝しております。加藤
さんの説明にもありましたが、10年間の模索と思考のご苦労の後、生み出した新し
い芸術なのだと思うと、やはり現場において鑑賞しなければ、真の姿・真の味は味あ
えないのかなと思います。多くの方がその感想で言われているように皆さん大きな感
銘を受けられたのだなと言うこと事が良く分かります。セーヌ川では、フランスの
方々もきっとびっくりされるだろうと思います。D-Kは、仏教の色即是空空即是色の
思想を空間に表現したものかとも思いますが、あまり難しく考えずとも「今」と「移
ろいゆくとき」を素直に感じることが出来れば良いのかとも思います。
人間のコミニケーションの方法には、映像と、音声が、あります。
 貴殿が、今、挑戦している方法は、ちょうど、音声と映像の中間
の伝達方法にも、似てます。密度を上げて言えば、自ら空に帰依し、
願わくば衆生と、ともに、大道を体解して、智慧海の如く、無上心を、
興さん。の境地の、ものだと、考えられます。
 所謂、梵語くす゛しの現代版だと、おもいます。素晴らしいものです。
 よくぞ、その、境地に、たどり着きましたね。


■20□□□□□□
時間空間を、、解放する、これでわかりました。空間も解放するんですね。たしかに映像にしか出来ない、、、。空間から解放された感じ」が空間を作っている建築屋からするとたまらなく魅力的なんですよね。
解放された感覚を目指せば目指す程、逆に空間を構成する質量を持った物質にとことんストレートに接し扱ってしまう。そのジレンマから映像に惹かれているのだと自覚してます。
 ただ、一方で「空間から解放されたい感覚」を目指さない方向も十分、魅力があるので、建築設計ではそちらを目指そうと考えてます。
 そういう意味での究極は今のところ映像だと思いますので、今回は沢山勉強させて頂きます。
 どう位置していれば良いのか迷ってます。

■25□□□□□□
プロジェクターから投影されるデジタル絵は、ゆっくりと移ろうよう
に映像が変化していく新しい映像文化です。夕日を眺めているときと同じ
で、じっと見ているとなかなか沈まないのに、しばらく歩いて振り返るともう
山の端に隠れている。「移ろうように変わる」のがコンセプト。プツプツ途切
れたデジタルの時空を、残像という視覚現象を橋渡しにアナログの世界に
限りなく近づけてきたのが「デジタル掛け軸」の移ろい絵です。眺めている
と心和み癒される時間的・空間的拘束から解放された記号的・現在的空間  
をご堪能ください。


■26□□□□□□
わかばです!デジタルカケジク、
日常生活の中にボボっっとあらわれたら
急にどこかに連れていかれるような…不思議な気分に襲われる…

時間の進むスピードがけたたましい東京に設置されるのと、
私の生まれ故郷のような、田舎に設置されるのと
全然また見え方が違ってくるのでしょうね

東京でも、新宿と渋谷と秋葉原とではまた全然違うと思うし・・

私の住んでいる大森は、コンクリートと排気ガスの街です。
時間を感じさせるものがありません…。
ときどき寂しそうな公園があらわれます。

デジタルカケジクがここにあったらどんなだろう…
ここにきた子どもは、老人は、オバチャンはどんなふうにこれを見るのかなぁ…
って想像しながら散歩するのも楽しそうですね!!

やはり「思索」する空間を広く提供することを目的とし、しかしながらその過程で
-D-Kを体験できるイベント(移ろう空間を広く認知させるフェーズ)
-常時体験できる空間の提供(移ろう空間を求めさせるフェーズ)
-個人用D-Kの広がり(個々で空間を作ろうとするフェーズ)
があると思います。

那谷寺.気多大社神社、新湊港、尾山神社 (2003年)

那谷寺.気多大社神社、新湊港、尾山神社 (2003年)
2003/8/13 那谷寺dーklive

2003 9月27日~28日、8万人を越える人々がdーk体感の夜でした。

能登一宮 気多大社創建ニ千百年祭


D-K LIVE の Installation


気多大社創建ニ千百年祭 拝殿や神殿の D-K LIVE Installation。

石川県羽咋市寺家町ク1  9月27日~28日両日






感想


大社本殿外壁の複雑な木製スクリーン?など、今までに無い興奮を覚えました。
四角四面のスクリーンの投影ではとても味わう事が出来ない独特の視覚はどう第三祉≠ノ
説明したら納得して戴けるか、現物を観る以外に手段は無いでしょう。 
これが標準ですと言うカタログが出来ないものです。         □□□□

昨夜の気多大社は、宇宙そのものでした。底辺に、人間のさまざまな営みがあり、
それを見守り受け入れる神社と杜、D-Kは、その御霊の気配を感じさせるようcm
大きくゆったり息づいていました。そして天には、星がまたたいていました。
すべてを見つめる、静かなまなざしでした。

愛の成就のために集まる、若者たちの無邪気さと神社の人たちの営利が見え隠れするさまcF
おかし哀しい光景でしたが、みな、何かのために真剣でした。
D-Kを見ている人見ていない人・・・
宇宙の分子はさまざまで、ひとつひとつが欲望のかたまり、でもいろんなものがすべて関係
しあってこの世界があるのですね。



昨夜は、那谷寺の時のようなトランス状態にはならず、宇宙の断面図をみて、現実を認識した夜でした。
D-Kの、新たな魅力発見です。
□□□□



D-Kがどんどん世の中に浸透していくんだろうと、ワクワクします。
D-Kは、瞑想(やったことがないので本当は分からないのですが、イメージではあ
るがままの自分に接する―みたいな感じ?)みたいなものを、
身近にしてくれる大変便利なツール、という気がします。
それは、世の人々が欲しているもの。
”映画”のようにいつでもどこでもD-Kがある♪
ひとつの文化として全世界に普及するのでは!




気多大社D-Kを見に行った私の両親のコメントです。

「現代美術は、難解で見ていて疲れるものが多いけど、

デジタルカケジクは、理屈抜きで楽しめるからいいねぇ。

ずーっと見ていると、なんか体が癒されてくるね。

スケールが大きくて、世代を超えた大勢の人と

共感できるのがすごいことや。」

金沢城で出会って以来、ファンになったそうです。

これからも「D-K追っかけ組」になりそうな感じです。



ありがとうございます。
金沢城、那谷寺とは又違った感想感激。
いつも違う、いつでも違う、夕日のごとく
同じ事を再現できない、再現する必要のない
それがDーK
やはりリアルタイムで体験し感じなくっちゃー










2002ー10ー12
DーK live 新湊 (富山県)


新湊の場のちからにあやかって、みなもに浮かぶdーkに身鏡をみた。

風はあなたです。





感想


昨日の内川とってもよかったです。金沢では感じなかった美しさをたくさん感じました。きれいな光のアートに自然が作り出す水面のきらめき・・・なんといっても川の流れのようにのバイオリン演奏に酔いしれている時一羽の鳥が舞い込んできたときはその鳥も素敵にアートされ思わず拍手と歓声があがり涙が出ました。



すごいですね。すばらしい、美しすぎる。
How fascinating!
那谷寺の感動体験が甦ってきます。じっとり、うっとり。
いつも最高の美をありがとうございます。
英杜の前川でした。


金沢城、那谷寺とは又違った感想感激。
いつも違う、いつでも違う、夕日のごとく
同じ事を再現できない、再現する必要のない
それがDーK
やはりリアルタイムで体験し感じなくっちゃ



写真を拝見して、大伽藍や名所でなくとも、ありふれた町でも十分に人々を感動させることができるのだな、と改めてD-Kのすごさを感じました。夕景から漆黒の闇への時の移ろいと水面に映える光の競演が静かに変化していく様を、写真からも感じることができました。広瀬氏の感想にありますように、思いもかけぬ一羽の鳥もD-Kの中に飛び込んできて、静と動、とりわけ生命というものの不思議さを感じcEせ、涙まで誘ったのではないかと拝察しました。光と影は、互いに干渉しあい、互いを際立たせるものなのだということが分かります。夜空に開く花火も然り、水面に映る光も然り、セーヌ川もきっとすばらしい光と影の競演を披露してくれるのではないでしょうか。


頭の回転や行動がスピードをもち備えていないため
海に沈む夕日、空に流れる雲、星座観察、空に架かった虹がうっすら消えていく様、
いったん、こういうものが意識のなかに入り込んできたら
なかなか抜けでることができない性質です。
ですから、DKもあれだけの時間ではものたりなく思うくらい
感じ入っていたのですが、DKがすばらしいと思ったのは、
「うつろい」をイベントとして、複数の人々と共有できることです。
夕日や、虹が、ふとあるタイミングでわたしの意識のなかに入り込んできたとき
「みて!空」とわたしはいつも大切な人たちにメールするんですが、
これは、けっこう虚しい行為でして…。
でも、大切なひとたちと共に、緩やかな時間を、うつろいを共有すること。
それは静かに流れるムーブメントです。

風は感じるものですね。
同じ空間で同じ時間を過ごしたことで、満ち足りた気持ちになれました。
それはすべて長谷川さんと、波の音、そして蛍光色の光のおかげ。
DKを浴びること楽しかった。ありがとうございました。



尾山神社dーkライブ
2003ー8ー9

D-K_感想資料_01-13

D-K感想資料_01-13

■1□□□□□□
D-K@21世紀美術館、ほんと素晴らしかったです。
うつり変わる色彩を堪能しながら、
建築物の美しさに見とれました。
あの瞬間にしかありえない、貴重な体験をさせて頂きました。
そしてたくさんの人(遠方からもたくさん!)を引き寄せる
あの大きなエネルギー、やっぱりすごいことですね。
あのプロジジェクトをついに実現させてしまった長谷川さん!!
現場で私が一番見とれてしまったのは、
長谷川章さんの晴れやかなお姿でした


■2□□□□□□
金沢城イベントのDKは、いまだに情景と雰囲気を
色あせることなく思い出せます。
DKのインパクトの本質は何なのだろうかと考えるとき、
身体感覚意識、すなわち、大脳皮質に訴えかけるのではなく、
生命を司る本能の脳(古い皮質)に訴えかけるのだなと
私は感じています。


■3□□□□□□
奇想といえば、奇想な試みに、どうしてこのような発想が生まれてくるのだろうかと、びっくりしてます。地元では、金沢城でのショーなどがあったので、今度はどんなものになるのかしらと期待されているのではないでしょうか。実行委員の一人に加藤さんも名を連ねておられますが、やはりいろいろな方の意見などが、より多彩で、皆さんの度肝を抜くような演出になっていくのかなと思いました。


■4□□□□□□
海に沈む夕日、空に流れる雲、星座観察、空に架かった虹がうっすら消えていく様、
いったん、こういうものが意識のなかに入り込んできたら
なかなか抜けでることができない性質です。
ですから、DKもあれだけの時間ではものたりなく思うくらい
感じ入っていたのですが、DKがすばらしいと思ったのは、
「うつろい」をイベントとして、複数の人々と共有できることです。
夕日や、虹が、ふとあるタイミングでわたしの意識のなかに入り込んできたとき
「みて!空」とわたしはいつも大切な人たちにメールするんですが、
これは、けっこう虚しい行為でして…。
でも、大切なひとたちと共に、緩やかな時間を、うつろいを共有すること。
それは静かに流れるムーブメントです。


■5□□□□□□
写真を拝見して、大伽藍や名所でなくとも、ありふれた町でも十分に人々を感動させることができるのだな、と改めてD-Kのすごさを感じました。夕景から漆黒の闇への時の移ろいと水面に映える光の競演が静かに変化していく様を、写真からも感じることができました。広瀬氏の感想にありますように、思いもかけぬ一羽の鳥もD-Kの中に飛び込んできて、静と動、とりわけ生命というものの不思議さを感じさせ、涙まで誘ったのではないかと拝察しました。光と影は、互いに干渉しあい、互いを際立たせるものなのだということが分かります。夜空に開く花火も然り、水面に映る光も然り、セーヌ川もきっとすばらしい光と影の競演を披露してくれるのではないでしょうか。成功を祈念します。


■6□□□□□□
ありがとうございます。
金沢城、那谷寺とは又違った感想感激。
いつも違う、いつでも違う、夕日のごとく
同じ事を再現できない、再現する必要のない
それがDーK
やはりリアルタイムで体験し感じなくっちゃー


■7□□□□□□
風は感じるものですね。 猛スピードで進むあなたは今、ドコ?
同じ空間で同じ時間を過ごしたことで、満ち足りた気持ちになれました。
それはすべて長谷川さんと、波の音、そして蛍光色の光のおかげ。
DKを浴びること楽しかった。ありがとうございました。


■8□□□□□□
昨日の内川とってもよかったです。金沢では感じなかった美しさをたくさん感じました。きれいな光のアートに自然が作り出す水面のきらめき・・・なんといっても川の流れのようにのバイオリン演奏に酔いしれている時一羽の鳥が舞い込んできたときはその鳥も素敵にアートされ思わず拍手と歓声があがり涙が出ました。


■9□□□□□□
光の祭典の時にも思ったのですが、凝視、鑑賞するものというよりは環境として佇
んでいる存在かと。


■10□□□□□□
D-Kがどんどん世の中に浸透していくんだろうと、ワクワクします。
D-Kは、瞑想(やったことがないので本当は分からないのですが、イメージではあ
るがままの自分に接する―みたいな感じ?)みたいなものを、
身近にしてくれる大変便利なツール、という気がします。
それは、世の人々が欲しているもの。
”映画”のようにいつでもどこでもD-Kがある♪
ひとつの文化として全世界に普及するのでは!(^-^)


■11□□□□□□
大社本殿外壁の複雑な木製スクリーン?など、今までに無い興奮を覚えました。
四角四面のスクリーンの投影ではとても味わう事が出来ない独特の視覚はどう第三者に
説明したら納得して戴けるか、現物を観る以外に手段は無いでしょう。 
これが標準ですと言うカタログが出来ないものです。
 永井克正


■12□□□□□□
昨夜の気多大社は、宇宙そのものでした。底辺に、人間のさまざまな営みがあり
それを見守り受け入れる神社と杜、D-Kは、その御霊の気配を感じさせるように
大きくゆったり息づいていました。そして天には、星がまたたいていました。
すべてを見つめる、静かなまなざしでした。


■13□□□□□□
愛の成就のために集まる、若者たちの無邪気さと神社の人たちの営利が見え隠れするさまが、おかし哀しい光景でしたが、みな、何かのために真剣でした。
D-Kを見ている人見ていない人・・・
宇宙の分子はさまざまで、ひとつひとつが欲望のかたまり、でもいろんなものがすべて関係しあってこの世界があるのですね。


■14□□□□□□
昨夜は、那谷寺の時のようなトランス状態にはならず、宇宙の断面図をみて、現実を認識した夜でした。
D-Kの、新たな魅力発見です。
 角島泉


■15□□□□□□
自分自身、理解するのに時間がかかり、じっくりと読んで分かりました。
光と影の演出、色彩の豊かさ、どれもあっと驚くような視界に広がる映像が印象に残りました。
 絵画なら額縁、映像ならTVなどの枠にとらわれない、すばらしい作品だと思います。
D-K conceptでもありましたが、「世界の無限性に気づかされる」「今ここに生きている」ことを実感させるの言葉が気に入りました。
世界の無限性があるように、人間にも無限性があると思います。
高坪 敦子


■16□□□□□□
”中詣”があまりにも素晴らしかったので失礼とは思いましたが、メールさせていた
だきました。
岩山に映し出される”DK”がこれほどまでに自分に(きっとその場にいた誰もに)影
響を与えるとは、本当に驚きでした。
そこには肌に浸透してくるような静かなエネルギーが充満していて、それに身を委ね
ていると体の重みがなくなり浮遊感のようなものを感じました。
自然、美味しい食事、静かな語らい-今思い出しただけでも恍惚としてしまいます。
夕方から朝までそのような中にいられて、とても幸せでした。
心にたくさんついた”油”が流されたような気がします。
私が持っている粗末な言葉ではとても言い尽くせません。
常事に煩わされ、曲がったり汚れたりしている自分を初期化してくれる-これは本当に”中詣”でした。

金沢城 (03/04/26-29)


2003年4月26~29日 加賀百万石金沢城

金沢21世紀美術館 建設現場 (03/10/18)


Kanazawa_museum_20031018
Video sent by d-k

2003年10月18日 金沢21世紀美術館 建設現場

-関連リンク
RE:COMMEND:D-K LIVE - livedoor Blog(ブログ)
WANOWA~暮らし方のスタイリング提案

D-K量子芸術宣言

-------------------
 D-K量子芸術宣言
-------------------

 D-K OFFTIME TVは、30万pixelのデータが地球上の50億台を越えるTV受像機に同時にダウンロードされ、その一瞬を画像として現出するライブ体験である。

 地球上の50億のTV受像機が同時に同じD-Kを映し出す。これは「いよいよ粒子による伝達方法も取り入れた芸術が出た」と言うことだ。我々はこの一瞬(旬)を世界中で共有するライブアートを我々は量子芸術と名付ける。

 これは視るテレビから、心で気配を感じ、精神で捉えるテレビ=環境、芸術メディア、オブジェクトとしてのテレビへの飛躍である。ここに来てはじめて人は本来の意味で媒体(medium-媒介者、シャーマン、口寄せ)としてのテレビを手に入れたと言えるだろう。D-Kを通して人は宇宙のリズムや生命のリズムとシンクロすることが出来るだろう。

 それは究極的にはtele(遠隔の)-vision(視覚)を越え、
tele-sympathy(共感)=telepathyへとつながる道程となる。

 現実を切り取る(キャプチャする)テレビの時代から、データが現実を生み出す時代へと世界は移り変わろうとしている。

 17世紀以降の科学と宗教の棲み分け、20世紀の量子力学などの科学の進歩、昨今の人の心・意識を包含した科学のパラダイムの提唱、などを鑑みても、D-Kが21世紀の量子芸術として本質的な価値を持ってくることは明らかである。

 D-Kはまた、TVゲームや情報過多による若者・子供の脳への弊害、ストレスを解放し、人の生命の循環を自然の循環系へと取り戻す効果が期待される。子供の情操教育にも効果的なツールとなるだろう。

CM制作から生まれた新メディアでテレビ革命に挑戦

■世界が認めた芸術
映像作家・長谷川章氏は石川県小松市にあ
るアトリエ「PCMスタジオ」を拠点に、光
のアート「D-Kデジタルカケジク」を日本
から世界に発信している世界の巨匠である。
デジタルカケジクとは聞き慣れない言葉だ
が、それは単なるアニメーションやビデオア
ートとは異なるデジタル技術の粋を究めた新
しい芸術である。あらゆるものに投影するこ
とができ、その場にあった色彩や模様によっ
て環境を演出する。四季の変化や、その日の
気分で掛けかえる掛け軸に通じるところから
デジタルカケジクと命名された。
D-Kライブイベントは二〇〇三年の地元
・金沢城を皮切りに、宮城県美術館や大阪城
などで展開されてきた。東京でも六本木ヒル
ズや汐留シオサイトのオープン時に続いて、
今年もお台場のホテルグランパシフィック・
メリディアンでのイベントが六月まで行われ
ていた。
世界がもっとも注目している日本人の一人
とあって、昨年末にオリンピックの余韻が残
るアテネのアクロポリスで行われたD?Kラ
イブは、世界の芸術界に強烈な印象を与えた。
今年の十月には世界を代表する芸術家を集め
て行われる「中国上海国際芸術祭」に招聘さ
れている他、来年八月に米国のカリフォルニ
ア州サンノゼで行われる「国際エレクトリッ
クアート展」でも、最先端アートとして大々
的に紹介される。
だが「D-Kとは何か?」を考えたとき、
その捉えどころのなさは、例えばメリディア
ンでのイベント用チラシを見ればわかるはず
だ。そこには以下のように書かれている。
「D-K(デジタル・カケジク)とは、長谷
川章氏が開発した独自のアイデアである。そ
れは二十一世紀の人間という生物のリズムを
取り戻す、新しい芸術である。フレームを取
り払い、始まりと終わりを取り払う、そこに
『過ぎる時を包む空間が生まれる。永遠に流
れ続くもの、水のように二度と同じ流れにな
らないもの、いうなれば色即是空である。

D-Kは一見静止画のように見えるが、じ
つは地球の自転速度の感覚でうつろう無常の
世界である。
D-Kにはタイトルも物語も意味もない」
実際に見た人の反応や感想、受け止め方も
人それぞれ。それがまた、作者の狙いでもあ
ろう。なにしろ「タイトルも物語も意味もな
い」ものを言葉にしようというのだから、し
ょせん無理な話である。
ここではその難しさの理由の一つを、実は
禅の世界における悟りそのものを扱っている
からだと指摘するに止めておきたい。
事実「色即是空」という言葉が使われてい
るように、作者の本音はおそらく宇宙そのも
のを説いた「般若心経」の世界を提示した光
のアートということになろう。説明は困難で
あり、さほど意味がない。まずはその場に行
って、自分の目で見て、その世界を体感する
しかあるまい。
日本では、この八月二十日に石川県の白山
比め神社でD-Kライブが行われる他、年末
にかけていくつかの計画がなされている。い
まだ見たことのない人も、やがて目にする機
会があるはずだ。
D-Kを見て、液体映像という人、オーロ
ラのようだという人、仏教のマンダラを見る
ようだという人、なぜか自然に涙がこぼれる
ほどの感動を覚えたという人など、様々であ
る。だが、それは御来光や夕日、雨上がりの
虹を見て、あるいは富士山の雄姿を前に、そ
れまでとちがう時間が流れるのを感じる。
誰でもわかることは、D-Kにはそんな自
然に接したとき同様、それまでとはちがった
時間が流れることだろう。

■一人企業の発想
D-Kの詳しい説明は次回に譲るが、今回
長谷川氏を紹介するのは彼のやってきたこと
がベンチャーそのものであり、ベンチャー企
業の在り方を考える上で、ヒントになること
がいくつもあるからだ。
一九四七年十一月、長谷川氏は小松市郊外
で生まれた。当時、父親が鉱山会社のエンジ
ニアをしていた関係から、一家は白山の中腹
に銅の採掘のためにつくられた街に暮らして
いた。そこから小松の街までは、鉱山会社が
引いた鉄道で小一時間かかった。都会の生活
と遮断された、その街には従業員たちの娯楽
のための映画館やパチンコ屋ばかりか、売春
宿まであったという。
そんな不思議な場所に育った彼は、すでに
今日を彷彿とさせるベンチャー精神を発揮し
ている。父親の影響でエレクトロニクスと音
楽が好きだった彼は、ラジオを改造して、何
とかNHK以外の放送を聞こうとした。だが
改造しても雑音が入る。
そんなある日、ふと「中波の波長は十八メ
ートルだから、その長さのアンテナを白山の
頂上に立てればいい」と気がついた。実際に
つくってラジオにつないだ瞬間、聞いたこと
のない韓国語が流れてきた。ツマミをずらす
ことで世界中の放送が飛び込んできた2
やがて、彼はアンテナを発信機にして、個
人放送局を始めた。「こんばんわ、長谷川放
送です。今日はみなさんにビートルズの新曲
をお届けします」とか。ちょっとしたDJ気
分を楽しんでいた。いまでいうインターネッ
トを一早く体験したようなものであろう。
その後、小松の高校に進学した彼は、音楽
好きが高じてエレキバンドに夢中になった。
それでも父親同様エンジニアの道を目指して
東京の電子専門学校に入学。再び好きなバン
ド活動を始めた。それでも仲間がプロを目指
す中で、彼は卒業して、Aスタジオに入社。
有名監督の下、新人として多くの映画づくり
に参加した。
だが、慣れない一人暮らしのせいか、一年
後に結核にかかり、郷里に帰った。結局、回
復するのに二年かかって、いざ東京にもどろ
うと思っても、クスリの副作用で食事ができ
ず、体力も気力もなかったという。
その後、七四年になって、彼は小松で資本
金五百万円をかき集め、コプメ企画を設立。
機材を買って、オーディオ・スタジオを始め
た。それは地味ではあっても、極めてユニー
クなベンチャー企業の旗上げであった。
このとき役立ったのが、実は音楽バンドの
経験だという。通常、素人バンドは友だち同
士が集まってスタートするが、中には辞めて
もらいたいメンバーも出てくる。そのとき、
考えついたのが最初からメンバーを固定せず、
必要に応じてメンバーが集まる音楽バンドの
プロジェクト制であった。
長谷川氏が会社を始めるに当たって採用し
たのが、このプロジェクト制による一人企業
である。つまり、一つのコマーシャルをつく
るときに、一番いいカメラマンとスタイリス
トなどを必要に応じて集めて、終わったら解
散するというシステムだ。
それは彼に言わせれば「一人がいれば、全
部である。一人が企業の社長であり、運転手
であり、小使でもあるけど、その一人が十万
人いれば十万の株式会社と同じである」とい
う考え方だ。それがやがて、グループ企業に
もなっていく、新しい時代の会社の在り方と
いうわけである。
豊富なアイデアと機動性はプロ集団を抱え
るプロジェクト制一人企業の持ち味である。
当時の地方ラジオ局では、ニュースを読んで
いたアナウンサーが、コマーシャルの原稿も
読む。そんなナンセンスな広告に呆れた彼は
最新式の機材を使ってつくった音楽入りのコ
マーシャルのデモテープをつくって、ある企
業に持っていった。そのデモテープが採用さ
れて、彼の本格的なコマーシャルづくりがス
タートした。

■ライブラリーづくり
音楽にしろ、映像にしろ、地方にいては情
報面でのハンデが多いというのが常識であろ
う。事実、遠いというハンデを補うために、
やらなければならないことは少なくない。
彼がやったことの一つは、とにかくエレク
トロニクスの最新技術を日本でも一早く取り
入れることだった。例えば、仕事を始めて五
年目に、世界で初めてというビデオの編集機
を購入。いまでこそ、ビデオの編集は当たり
前だが、当時はニュース放送用の機械をコマ
ーシャルづくりに応用、その先見性によって
彼のつくるコマーシャルはあっという間に一
世を風靡した。
その後、電通とともに数々のコマーシャル
を制作。八四年の日本民間放送連盟TVCM
部門最優秀賞をはじめ、ACC(全日本広告
コンクール)賞などの賞を受賞。業界で「コ
プメ(CPM)詣で」という言葉ができたほ
どであった。
NHKのニュースやスポーツニュースのタ
イトルから、大河ドラマ「琉球の風」など。
ディレクTV、中国電視台のステーションロ
ゴなど、およそ四千本以上の作品を精力的に
世に送り出してきた。
いまでもテレビから流れる映像で、彼のも
のと知らずに接している作品は少なくないは
ずだ。それらのすべてが、その後のD-Kの
ための下地になっている。
小松にいるハンデを補うため、彼はファッ
クス一つとっても、A4用紙一枚送るのに三
十分かかる時代から導入。インターネットで
も、よそより早く、約二十年以上前データ通
信と言われたころから始めている。
だが、逆に遠い田舎にいたからこそ、発想
できたものもある。世界の様々な音と風景等
の映像を集めたライブラリーである。
それはハワイに行くにも東京経由で行かな
ければならず、それを東京と同じギャラでや
っていては、割に合わないところから思いつ
いた、いわば"ハワイに行かずにハワイで撮
る"方法であった。要はハワイに行ったとき、
ついでにハワイの風景を撮ってきて、それを
ライブラリーに保存。いつでも他の用途に使
えるように整理したのである。その効果は、
至るところで発揮されたという。
中曾根首相の時代に、広告界に大きなイン
パクトを与えたのが、銀行のコマーシャル解
禁であった。このとき、彼のところにも電通
から大手銀行のコマーシャルの話が持ちかけ
られた。「一週間後に大きなプレゼンがある
ので何とかしてほしい」というのである。
このとき使ったのが彼が撮った蓮の花の映
像。それを信頼の象徴として使ったCMをプ
レゼンの席で発表したのだ。他社は絵コンテ
をもとに説明するのだが、電通はスイッチを
入れると、蓮の花の映像と音が流れる。それ
だけで、勝負はついてしまった。要するに、
プレゼンのときにすでに完成したものを見せ
られる。それもライブラリーを持っている強
みなのである。   
     
■ベンチャーの基本
およそ二十八年前、同業者もなく、マスメ
ディアもないという環境で、なぜ彼が四千本
もの作品を世に送り出すことができたのか。
実は、それこそが彼のベンチャー精神の賜物
というわけだ。
つまり、彼の今日に至る軌跡はミュージシ
ャンから始まって、オーディオ、そして映像
の世界に移って、ビデオ、デジタルという具
合に、およそ五年ごとに、次の新しい分野に
移行していった。
「ここが重要でアナログとデジタルを並行し
て引っ張っていると、なかなかデジタルに変
われない。確かに、それまでのアナログを切
れば大変だけど、その分いのちがけになりま
すから。要するにベンチャーの基本は切り捨
てることです」
と、長谷川氏はベンチャー企業にとっての
「切る」こと、即ちいつも旬であることの重
要性を強調する。
四十歳のとき、一大決心をして、CPMデ
ジタル・コンポーネント・スタジオづくりに
約五億円を投じた。それが九〇年に完成した
ガラス張りのスタジオで、そこから見る景色
は雄大で、木場潟を手前に、その向こうには
二千七百メートル級の白山の峰が連なる。
清水の舞台から飛び下りるつもりで決断し
た、その結果が今日の成功へとつながったの
である。実は、この七月、彼はD-Kについ
て伊勢神宮の高城治延少宮司から「慎」との
銘を授けられた。「慎の一字こそ、眼なれ、
神に仕ふるは慎にかぎる事也」(江戸初期の
外宮祠官度会延佳翁言)より取られたとのこ
とだ。バッハの曲に限らず、すべてのアート
は本来、神への贈り物である。「慎」の銘は
彼にとって、その神からのご褒美のようなも
のだろう。
それは名誉ある成功の証であり、一つの到
達点である。しかし、それはあくまでも彼に
とっては一つの通過点でしかない。事実、そ
のD-Kが単なる映像ではなく、環境をつく
るというレベルに達して新たな展開が始まろ
うとしている。


--「エルネオス」2005年9月号
http://www.elneos.co.jp/number0509.html
■連載/早川和宏のベンチャー発掘74
 石川県小松市/CPMスタジオ[後編]
CM制作から生まれた新メディアで
テレビ革命に挑戦

世界的映像作家・長谷川章をつくり出したベンチャー精神

石川県小松市という不利なロケーションを
逆手にとった手法で、コマーシャル制作、映
像の世界で活躍する世界的映像作家・長谷川
章氏。一世を風靡した彼が日本発の新しい芸
術の世界を開くものとして、到達したのがデ
ジタル技術の粋を凝らした光のアート、「D
-Kデジタルカケジク」は、どうやって生ま
れてきたのか。

金沢城四季物語
世界的映像作家である長谷川章氏によるD
-Kデジタルカケジクの本格的なデビューは、
二〇〇三年、地元・金沢城でのイベントであ
った。D-Kライブは石川県などによる通年
観光企画「金沢城四季物語」の春の目玉イベ
ントとあって、地元の新聞でも、写真入りで
紹介された。
当時の新聞には「コンピュータ・プログラ
ムによって色や模様が変化する光を、五台の
大型プロジェクターで五十間長屋や菱櫓(ひ
しやぐら)などに映し出す」というD-Kの
仕組みの他「題名や説明、物語性などはなく、
一種の環境をつくるわけで、見る人もその一
部になってほしい」との長谷川氏のコメント
が載っている。
そのとき集まった老若男女、洋の東西を問
わない人々の反応が、彼に自分がやってきた
こと、やろうとしていることが正しかったと
の自信を与えることになったのだろう。
D-Kは城でも遺跡でも対象となる物の尊
厳や形、風景を損なわず、むしろ過去の城や
遺跡に再び命を与える。それを見る者も、な
ぜか生きていることを実感する。
子どもたちが光の絵の中に入って、キャー
キャーと遊ぶ。ある者は額縁を持ってきて、
自分だけの絵を楽しみ、それを写真に撮る。
白いシーツをスクリーンにしたり、シーツに
くるまって絵の中に隠れたりと、誰もみな生
き生きとD-Kライブを楽しんでいた。その
すべてと言っていい人たちが「感動した」と
いって帰っていった。
金沢城でのD-Kライブは大成功のうちに
幕を閉じた。そして、D-Kを見た人たちは
自らが体験した不思議な感覚、感動の余韻を
惜しむかのように、長谷川氏のもとに多くの
感想やメッセージを寄せた。
その一部を紹介すると「金沢城でのD-K
は、いまだに情景と雰囲気を色あせることな
く思い出せます。そのインパクトの本質は何
なのだろうかと考えるとき、身体感覚意識、
即ち大脳皮質に訴えかけるのではなく、生命
を司る本能の脳(古い皮質)に訴えかけるの
だなと感じています」という人。
世界中の美術館を見て回り、いわゆる現代
アートにある種の反発を感じていたという大
学教授は、次のように語る。
「長谷川さんの芸術手法は、心に少しも反発
心を呼び起こしません。それは長谷川さんが
言われるように、これまで誰も見たことのな
い、色彩空間を創出した、それも自然物すら
キャンパスに変える巨大な表現方法に圧倒さ
れたということが大きいと思います」といっ
たところが、いわば代表的な感想である。
もう一つは、神に関わるものが多く、特に
神道の世界に通じるものがあるからだろう。
「神職世界道統との調和を有するD-K精神
である“無常”から生まれる、時空を超えた
見えざる力は、神道の“想念”世界と連動し
た神々の力サムシング・グレートそのもので
す。およそ三次元を超越した祈りはすべてに
あまねく届くべく、普遍的な情念の形式を考
えます」と、ある神職は指摘する。
あるいは「今世紀最大のアーチストとして
歴史に名前を残す」と信じるD-Kのプロデ
ューサー的人物は、次のように語る。
「アートを根底から塗り替えていく人です。
キャンパスは大自然なのです。人の心・物、
この世に存在するもの全てがD-Kのキャン
バスであり、作品となるのです。その時の光
の饗宴に集まる人の心・自然、時空の『間』
にこそ、存在するD-K。
D-Kから生じる宇宙エネルギーは、時間
の経過とともに空間に広がっていきます」
以上、人それぞれの感想がある。その内容
は極端に言えば百人百様である。

D-Kの誕生
金沢城でのライブの後、長谷川氏は精力的
に那谷寺、二一世紀金沢近代美術館、六本木
ヒルズ、大坂城、アテネのアクロポリスなど
でのライブを行ってきた。さらに今年から来
年にかけて、世界での展開が待っている。
もともと、D-Kは一九九五年に発明され
た。その間、実はこれまでもいろんなところ
でD-Kを見せてきた。だが、当時のプロジ
ェクターは二千万もして、一台借りるのに百
万円もかかった。現在のように、屋外で大々
的に展開することなど不可能であった。
そんな中、九六年にD-Kのコンセプトを
発表。東京ドームイエロー館に常設展示した
他、九七年には白山で元YMOの細野晴臣と
D-Kでのコラボレーションを行った。九九
年は科学技術庁にて「デジタルの検証から捉
えられる生命時間の概念」の講演。二〇〇二
年、ポーラ銀座ビル・ポーラ美術館(別館)
にD-Kを常設展示。D-K写真集+CD-
ROM『気配』を出版するなど、CMの仕事
の傍ら、彼はひたすらD-Kへの本格的な取
り組みが可能になる日を待っていた。
やがて、プロジェクターとパソコンの性能
が飛躍的に良くなり、しかもプロジェクター
の価格が激落したことによって、ようやく野
外に出て、今日のD-Kライブが可能になっ
たのである。
そのD-Kの基礎となるものができたのは、
彼が四十五歳のときのこと。「デジタルとは
何か」、デジタルの概念を解き始めたことで
時間というものに行き着いたのである。
彼は時間について考える中で、時間には感
覚的に感じる時間(旬や季節感など)と、社
会の要請による制度的な時間(暦や時刻表な
ど)とがあることに気がついた。そして、日
本の元号などのように、国や宗教によって別
々の暦を持っていた世界の国々は、今日では
西暦というキリスト教の時間に統一された。
その制度的な時間が世界を支配する中で、
逆にパソコンの普及と世の中のネット化によ
って、個人が自分の時間を持つようになって
いる。そんな時間の種類や形態の変化を見て
いくと、時間の概念そのものが、これまでの
常識とはちがうのではないかと、彼は直観的
に感じ取ったのである。
マリリン・モンローは彼が三十歳のときに
四十年の生涯を閉じた。それから二十八年、
彼女は四十歳のままだが、彼は五十八歳と年
齢が逆転してしまった。結局、死人に死はな
く時間もない。死も過去も生きている自分、
今の中にだけあることに気がついたのだ。
そのことからわかることは過去も現在も未
来も、すべて今の中にあり、時間とは生きて
いる自分の中にあるということである。その
結果、彼はコマーシャルや映像づくりに、な
ぜかもの足りなさを感じるようになった。
つまり、彼は「映像とは何か」を改めて考
えることで、情報社会とは情報の洪水の中に
生きているに等しいと知ったのだ。それはた
だ流されるだけで、生きていることを実感で
きない社会である。
「自分はその材料を提供しているマスメディ
アの人間なんだ」と気づいたとき、彼は「自
分たちがつくってきたものは何だったのか」
を自らに問い直した。
決定的だったのが、彼が制作に関わってい
たS社のウイスキーCMであった。タレント
の小錦を使って大いに話題を呼んだ人気CM
は、小錦は売れたが、肝心の商品は売れなか
った。コマーシャルの世界では情報操作は意
味をなさなくなっていたのだ。
商品がすべてで、いくらコマーシャルが良
くてもダメだということを知った彼は、そう
した情報ではなく、電気や光、水や風などの
素材、自然そのもの、環境を構成している、
そんなメディアはないものかと考えるように
なった。そこからD-Kの発想が生まれたの
である。

枠のない世界
「D-Kとは何か」を考えたとき、作者であ
る長谷川氏の概念は、以下のようなものだ。
「D-Kはその場に立つものを空にし、時間
と空間の束縛から解放する。D-Kの映像は
何かの表現やシュミレーションではない。あ
なたが見た一瞬に生成される不連続なデータ
であり、一切は心の動きがつくり出したあな
たの鏡である。
D-Kに変化を見たものはいない。木々が
大きくなるのを見ることができないように。
それらはあなたが見た、あなたが感じた一
瞬にのみ存在しているからである。変化を捉
えるということは、あなた自身の『間』を捉
えることに他ならない。
あなたがD-Kを観ているとき、あなたも
その場にいる人々も、場を形作る要素として
その場に溶け込んでいくだろう。
そのとき、自然と人は一つになる」
D-Kには自然の風景と人工物を一体化す
る効果がある。それはまた、人間が自然に生
かされていることを感じることでもある。つ
まり、究極の人為的装置なのだが、とても自
然のものであり、自然に生きる刹那、それを
感じ取る装置というわけである。
長谷川氏が「D-Kは色即是空の世界をプ
ログラムしており、D-Kには始まりもなけ
れば、終わりもない」というのは、宇宙の果
てまで続く、そこにはフレーム(枠)がない
ということである。例えば、テレビはスイッ
チを入れると番組が始まり、切ると終わる。
それがテレビの枠で、テレビをつけると、つ
いつい時間を奪われてしまう。
昔は年に一回程度、映画を見て、その時間
を奪われたとしても、それは非常に楽しい時
間であった。ところがいまは、やれケータイ
だ、新聞だ、雑誌だと忙しい。その情報は出
し手側がいて、時間の枠があるので、情報を
読みとるには、その時間に合わせなければな
らない。時間を取られるということは、その
まま生きている時間、つまりは命を浪費する
こと。まさに情報の奴隷というわけである。
D-Kは情報の洪水の中で、泳がされてい
る自分を救い上げてくれる。それも自分の力
で、ハッと気づくようになり、本来の自分を
取りもどすことができるのは、D-Kには枠
がないからである。
同時に、彼は映画やテレビの映像がいくつ
もの静止画を高速で切り替えることによって
成立していることに着目。D-Kはその画像
と画像の間を極端に延長して、一分間に千八
百フレームを微分的に補っていった。その操
作により得られるイメージは、D-Kの特徴
である限りなく静止画に近い動画となる。地
球の回転速度と同じというそれはまさに静止
画でもなく動画でもない、まったく新しいイ
メージになる。
「ということは、われわれの見ている映像は
全部、静止画なんです。それがなぜ、動画に
なるか。錯覚ではなく、それは見ている人が
動画をつくっているからです。それも生きて
いなければ見えない。それが生きているとい
うことなんだ」という長谷川氏は、一例とし
て一枚一枚の絵がページを繰ると動きだすパ
ラパラ漫画を引き合いに出す。
重要なことはそれらの特徴のすべてが、既
存の芸術にはないということだろう。芸術ば
かりではなく、テレビやニュースなどの情報
が誰かがつくり、プログラムしたものでしか
ないのに対して、D-Kは見ている人、参加
している人すべて、受け手側がつくる。だか
らこそ新しく、価値があるのである。


世界のD-Kへ
D-Kの役割、さらにその可能性は大きい
ものがあるが、長谷川氏が思い描くD-Kの
将来的なビジョンの一つは、D-Kによるテ
レビの革命である。
テレビは現在、世界中に五十億台以上使用
されているが、その九〇%は常に黒い画面の
「オフタイムTV」の状態である。テレビが
世界に普及して七十五年たった現在、誰一人
として、このことに文句を言った者はない。
テレビとはそんなものだというわけだ。
そのテレビは、いまや薄型テレビが全盛だ
が、薄型テレビ独自のコンテンツがあるわけ
ではない。ハイビジョンあるいはデジタル化
と、技術面での進歩はあっても、相変わらず
映画やニュースや様々な中継、バラエティを
垂れ流している。
実は、そこにこそ長谷川氏が提案する「D
-KオフタイムTV」の革命的意味がある。
スイッチを入れると、まずD-Kが映る。も
う一度、スイッチを押すと普通のテレビ番組
が流れる。消すときはスイッチを押せば、再
びD-Kが流れ、もう一度押すと、電源が切
れる。黒い画面がD-Kの舞台になるという
仕組みである。
そのシステムのために、D-Kを世界的に
配信する仕組みもできている。それが、長谷
川氏がすでに開発、特許取得済みの配信シス
テムである。D-Kダウンロードソフトによ
って、世界中どこでもインターネットを通じ
て、D-Kライブ画像データを再生できる。
それはテレビの革命に止まらず、これまで
の箱もの、箱型の受け身の美術館から、ライ
ブを可能にする能動的な美術館の創造でもあ
る。つまり、普通は美術館に行って、作品を
見て歩かなければならないが、D-Kはいわ
ば美術館のほうからやってくる。
D-Kはそこでは情報ではなく、一つのイ
ンテリア、精神的な癒しとなるとともに、建
築の材料、インテリアの材料などのまったく
新しいインフラになる。D-Kの最終的な目
標は、まさに世界をターゲットにしたものだ
けに、今後の展開が楽しみなのである。

-「エルネオス」2005年8月号
http://www.elneos.co.jp/number0508.html
■連載/早川和宏のベンチャー発掘73
 石川県小松市/CPMスタジオ[前編]
世界的映像作家・長谷川章をつくり出した
ベンチャー精神

「慎」の一字こそ眼なれ

「慎」の一字こそ眼なれ 
神に仕ふるは慎にかぎる事也


外宮祠官度会延佳翁言



題 「慎」 高城 治延 先生銘

精心會 平成十七年七月二日結成一周年記念東京大会にて
dーkは、伊勢神宮 高城 治延 少宮司 から「慎」と銘をいただきました

長谷川先生のご信念は神職世界道統との
調和点を有されます D-K精神である“無常”から
生まれる時空を超えた見えざる力は神道の“想念”世界
と連動した神神の力 -Something great- そのものです
凡そ三次元を超越した祈りは全てにあまねく届くべく
普遍的な情念の形式を考えます
心から先生との出会いを喜び この尊き御神縁を大事に
ご参詣の折は直接にその御奉賛のご趣旨を拝聴
致したく存じます

 平成十七年五月六日宵
   豊受大神宮にて 拝宮祠官 江澤康一


「慎」・・・人間の理性に凡そ必要
不可欠なる感情であります、つまり人間をはじめて人間
たらしめる要素と信じます。「真」・・・それは自然の
摂理。神々のメッセージです。私共が希求する“調和”
この根本に慎の存在があります。つまりD-Kは人間の
潜在感覚を等しく調和に導く力があるのです。
「慎」にこそはじまり「慎」にこそ人間として最後の時も
心得たいと存じます。


「D-K]・・・普遍的な魂の形式
「D-K]・・・あなたはどこに存在するの?
       その血は脈脈と通ります
「D-K]・・・思考からときはなたれたの?
       それは感覚秩序の世界です
「D-K]・・・祈りと結びつくの?
       心の鏡
「D-K]・・・闇に宿る希望です

長谷川先生に万謝
       恐恐謹言
 平成十七年五月三十一日 暁
      神宮祠官 江澤泰一拝


先生の世界は人類に普遍の魂なのです。もはや先生の世界でありながら
それは心を持つ全ての人人の世界なのです。それゆえに無なのでしょう。
不安からの解放、身を捧げることのできる平安、愛に満ちた世界、
闇それは希望です!

先生のご提案は祝福に満ちています。これも神の御意思です。


宮祠官 江澤康一




なにも持たづ、なにも飾らづ、なにも語らない。
自然のふるまいそのものが神道である。


無我の境地,

其れこそが、己が自然になった事であり、
自然と己がひとつになった状態のことである。
その時、宇宙は私となる。


D-Kの映像は、其れ自体が表現やシュミレーションではなく、
旬に生成されていく不連続なDATA であり、
一切は心の働きがつくり出す身鏡である。

そして、己が宇宙に存在する霊であることの確認を得る。


白山、、あh